猫の口臭は「猫だからこんなもの」で片づけられるものではない。毎日そばで顔を寄せているのににおいが強い、よだれが増えた、硬いフードを残す、片側だけで噛む、口のまわりを前足でかく。これらは飼い主が自分で判断して様子を見続けるものではなく、動物病院で口の中を診てもらう合図だ。そして受診の場で効くのは、そのとき必死に思い出す記憶ではなく、日付のついた短い記録になる。

私が最初に気づいたのは、朝のあくびだった。床に座ってお茶を持ったまま、猫が膝に乗ってきて、大きく伸びをして口を開ける。その距離でにおいが届いた。最初は前の晩のフードのにおいだと思った。翌日も、その次の日も同じだった。ここでようやく、私は「いつからこうだったか」を思い出せないことに気づいた。においは昨日始まったわけではない。気づいた日は、始まった日ではない。だから記録を始めた。
いま、あなたの家の猫が隣で伸びをした場面を思い出してほしい。顔を寄せた距離で、においはどうだったか。口の横に、いつもと違うものは見えなかったか。
「猫の口臭なんてこんなもの」を基準にしない
猫の息が完全に無臭というわけではない。ただ、毎日いっしょにいて「いつもと違う」と感じるにおいが続くなら、それは性格や年齢ではなく、体の状態の変化として扱っていい。口の中のにおいの理由が口の中だけにあるとも限らない。だから私がやるのは原因を決めることではなく、「いつから、どんなにおいか」を獣医師に渡すことだ。
3秒で終わる口元チェック
やり方は簡単で、長くやらないことのほうが大事だ。猫を床か膝の上で落ち着かせ、後ろか横にまわる。片手で頭の横をそっと支え、もう片方の親指を上唇の横に当てて、歯が見えるまで持ち上げる。左右とも。続けて下唇も少し下げる。数えるなら3秒。歯磨きの前に毎日やると、猫も「短く終わるもの」と覚えていく。
見るのは、たとえば次のようなものだ。
- 歯茎の色。いつもより赤い、腫れている、こすっただけで出血する
- 歯の表面の黄ばみや、茶色い付着
- 欠けている歯、ぐらつく歯、抜けている歯
- 舌の下や頬の内側の、いつもと違う色やできもの
- 口の端のただれ、よだれの跡
ここで「これは歯周病だ」と自分で判断しない。私にはできないし、必要もない。見えたものを日付と一緒にメモへ移す。チェックの目的は診断ではなく、変化に気づくことと、獣医師に渡す材料を作ることだ。
見えたものは「所見」と「日付」で残す
スマホのメモで十分だ。「1月12日 右の奥に茶色い付着。におい強め。フードは完食」この程度でいい。3秒の動画も撮っておくと、いちばん役に立つ。口をめくっている動画は、診察室で強い味方になる。同じやり方で月に一度ずつ並べていくと、その子の変化の速さが見えてくる。
年1回の健康診断のときは、このメモを見せながら「いつから、何が、どのくらい」の順で話す。診断は獣医師の仕事で、私の仕事は材料を渡すことだ。
口を触らせる練習は「2秒」から
口のまわりを触られるのが苦手な子は多い。うちもそうで、最初は歯ブラシをいきなり入れようとして失敗した。効いたのは、短くして、必ず良いことが起きる形に変えることだった。上唇に指を当てるだけ、すぐ手を離す、おやつ。これを1日1回。慣れたら指でめくる、反対側、下唇、と少しずつ足していく。1回2秒でいい。長くやると、次の日から口のまわりを触らせてくれなくなる。
歯磨きも同じ延長線上にある。順番は、口の横を触る、唇をめくる、ガーゼや指用ブラシで前歯をなでる、最後に歯ブラシ。全部できなくていい。週に数回でも続いている状態のほうが、月に一度気合いを入れて大げんかするより、ずっと意味がある。
ただし、毎日の歯磨きは予防のための習慣で、すでにある赤みや出血を治すものではない。歯茎が赤い、出血するという日は、歯磨きを頑張るより先に診てもらう。
これが出たら、翌日を待たずに相談する
- よだれが増えた、口のまわりが粘つく、寝ていた場所が濡れている
- 硬いフードを残す、飲み込まずに口から落とす
- 首をかしげて片側だけで噛む
- 食べ始めに鳴く、顔を引く、食器から離れる
- 前足で口をかく、壁や家具に口をこすりつける
- 歯茎からの出血、ぐらつく歯
- においが急に強くなった
食べ方の変化は、1回の食事を残しただけなら次の食事を見ていい。丸1日たっても食べ方が元に戻らないなら電話する。夜中に気づいても、翌朝いちばんにかければいい。迷ったら「よだれが増えて、硬いものを食べなくなりました。いつからかは3日前です」と、そのまま伝える。これは診断の依頼ではなく、事実の共有だ。
「猫は痛みを隠す」を言い訳にしない
口の中の痛みは、鳴くことも、歩き方に出ることも少ない。だから「元気そうだから大丈夫」は、口の中についてはあまり当てにならない。早く出るのは、食べ方とよだれの変化だ。気づくのが遅れたとしても、遅れたことを責めるより、気づいた日にメモを始めるほうが先に進む。
よくある思い込みを外しておく
「猫の口臭は当たり前」は当たり前ではない。持続するにおいは、それだけで受診の理由になる。
「歯石がついていなければ大丈夫」も当てにならない。見えるのは歯の外側だけだ。歯茎の下は、唇をめくっても見えない。
「歯磨きをしていれば安心」も言い切れない。歯磨きは予防の習慣で、気になる所見があるときは、続けるより先に診てもらう。
「年を取ったから仕方ない」も理由にならない。年の分だけ変化に気づきにくくなる、というだけだ。
年1回の健康診断で、口の中も見てもらう
日本では、ワクチンやノミ・フィラリアの相談で年に一度は動物病院に行くことが多いはずだ。そのときに口の中も見てもらう。私はメモを見せながら「右の奥の色が気になっています」「3週間前から片側で噛んでいます」と、日付から話すようにしている。処置が必要かどうか、いつやるかは、診察のあとに相談すればいい。
家でできるのは、観察とブラシまで
私が家でできるのは、毎日3秒のチェックと、続けられる範囲の歯磨き、そして記録だけだ。それ以上は家でどうにかしようとしない、と決めている。あの朝のあくびから始めたメモは、今もスマホのいちばん上にある。口元を見るというのは、口の中を自分で治すことではない。いちばん近くで見ている人間が、獣医師に渡す一枚を作ることだ。