多頭飼いでトイレを譲らない猫がいるとき、最初に変えるのはトイレの掃除の回数ではなく配置です。猫同士の譲り合いが起きている家では、今あるトイレを熱心に洗うより、生活動線の違う場所へトイレを一つ増やし、避けている側の猫が他の猫と顔を合わせずに入れる経路をつくるほうが、状況は現実的に動きます。増やすときも同じ部屋に並べるのではなく、廊下の別の角、別室、人の出入りの少ない部屋というように、空間として分けるのが基本です。
朝の六時、廊下の突き当たりに立っていた。裸足の裏にフローリングの冷たさが残っている。洗面所のドアは半分開いていて、その奥にトイレがひとつ。若いほうの猫は、入口から二メートル手前の曲がり角に座っていた。威嚇しているわけではない。前足を揃えて、しっぽを巻いて、ただこちらを見ている。
奥の部屋から来た上の猫が、廊下の途中で止まった。座った。毛づくろいを始めた。三十秒ほどで、来た道を戻っていった。その夜、洗面所の前のマットが濡れていた。
最初に浮かんだのは「この二匹は仲が悪いんだな」だった。でもその二匹は同じキャットタワーの上下段で寝ているし、取っ組み合いも見たことがない。起きていたのは相性の話ではなく、位置の話だった。片方が座っているだけで、もう片方の通り道が消える。廊下の突き当たり、曲がり角の先、開きっぱなしのドアの裏。うちの間取りにはそういう場所がいくつもあって、トイレはその一番奥に置いてあった。
出口の先に何があるかを見る
トイレを眺めるとき、私が見るのは中身より周りだ。入口の前に何が置いてあるか、出た先に誰が座るか、そこから逃げる方向がいくつあるか。猫は排泄のあと、少しだけ無防備になる。砂を蹴って出てきて、二、三歩あるいて、立ち止まる。その一瞬に視線が合う相手がいると、次から入るのをためらう。
突き当たりのトイレは、この「出た先」が一番狭い。洗面所の奥、押し入れの中、廊下の終わり。人間には静かで落ち着く場所に見えるけれど、猫にとっては出口がひとつしかない袋の中と同じで、そこに先客が座れば終わりになる。うちの洗面所はまさにそれだった。ドアを全開にしても、脱衣所の角を曲がらないと廊下に出られない。
音も効いている。砂を掘る音は思ったより遠くまで届く。リビングで寝ていたもう一匹が、その音で起きて廊下のほうを見る。見に行く。悪意はなくて、ただ確認しているだけなのだけれど、トイレの中の猫にはそれが圧になる。だから設置場所は、家の中心の動線から少し外れたほうがいい。
数を増やす前に、位置をひとつ動かす
トイレの数は頭数プラス1が目安といわれる。二匹なら三つ。直している間は、そのプラス1にもう少し余裕を見て、四つ置いてもいい。ただ、その三つが同じ部屋に並んでいると実質は一つで、しかも一番強い猫が一番いい場所を取る。数えるときに見るのは個数ではなく、「避けている猫が、他の猫に会わずにたどり着けるトイレが一つあるか」だ。うちは三つあったが、二つは同じ脱衣所、一つはリビングの隅で、若いほうが使えるものは実質ゼロに近かった。
だから最初にやるのは、数を増やすことより前に、位置をひとつ変えることになる。同じ場所のトイレを一日三回洗っても、通路が開かないかぎり使えるようにはならない。新しい場所の条件は三つ。廊下から直接入れて、出口が二方向あること。給水器や食事のすぐ横ではないこと。そして、その猫が普段いる場所から歩いて十秒以内であること。遠くにいい場所をつくっても、途中で待ち伏せされるなら行かない。
ここでやりがちなのが、家中のトイレを一度に配置換えすることだ。私も最初にそれをやって、逆に混乱させた。今うまくいっている猫にだって、使っていた場所がある。その場所を奪うと、今度はその猫が別の場所で失敗し始める。一度に動かすのはひとつだけ。増やすか、動かすか、どちらか。そして一週間はそのまま置いておく。
一匹だけを整える、という考え方
直したいのは、たいてい一匹だ。だけど家全体を作り変える必要はない。避けている側の猫に、静かな部屋とその部屋用のトイレを一時的に用意して、食事のあと三十分だけ、監督つきでそこに入れる。ドアは閉める。トイレは部屋の奥の角ではなく、ドアが見える壁沿いに置く。猫は出入口が見えているほうが落ち着く。私はこれを、夜のいちばん静かな時間帯に二週間続けた。最初の数日は中を見回るだけで、使わなかった。五日目に、初めて砂を掘る音がした。
この方法のいいところは、他の猫の日常を壊さないことだ。先住猫はいつもどおり廊下を歩き、いつもどおりの場所で寝る。一時的に一匹だけ別のルートに移す。問題が起きている場所から、その一匹をいったん外すという考え方に近い。
注意したいのは、隔離を長く続けないこと。完全に分けてしまうと、戻したときに縄張りの確認で揉める。あくまで一時的、監督つき、目的は「他の猫を気にせず排泄できる体験を一回させること」に置く。うまくいった日は、そのまま部屋のドアを開けて、自分から出てくるに任せる。
トイレ以外も、同じ理屈でずらす
餌、水、寝床。ここが一箇所に固まっていると、トイレを直しても待ちの列は残る。うちは餌皿が台所の一角に二つ並んでいた。片方が食べ終わるまで、もう片方が三歩下がって待つ。水も同じ場所。これでは関係は良くならない。
餌は離れた二箇所に。水は餌から離し、トイレからも離す。寝床は高い場所を一つ増やす。高い場所は、見られる側から見る側に回れる場所だから、うちでは一番効いた。トイレの話をしているのに、と思われるかもしれないが、猫同士の緊張は資源の配置全体で決まる。トイレだけ直しても、餌で待たされていれば、廊下で座り込む癖は残る。
記録は「誰が、どこで、何を待ったか」
記録するのは排泄の回数だけでは足りない。時刻、場所、そのとき誰がどこにいたか、トイレの前に誰かが座っていなかったか。この四つを、できれば二週間。スマホのメモで十分だ。
うちで分かったのは、失敗は夜の九時から十一時に集中していたこと。そして、若いほうがトイレに入る前に、必ず廊下の角を見ていることだった。座っている猫がいれば入らない。いなければ入る。この二点が分かってから、対策は「夜だけ、廊下の角に何も置かない」に絞れた。全部を変える必要はなかった。
観察のサインとしては、じっと見る、入口の前で待つ、トイレから出てきた猫の匂いを嗅ぐ、掘る音がしたら見に行く、といった行動が分かりやすい。どれも病気のサインではなく、順番待ちが起きているサインだ。
これは違う、と思ったら動物病院へ
配置を変えても、避けている猫がトイレで痛がる、いきむ、鳴く、血が混じる、何度も入って少しずつしかしない。こういうときは社会性の問題と決めつけずに、動物病院へ行ってほしい。痛みがあると猫はトイレそのものを嫌いになるので、配置をいくら直しても改善しない。配置で直るものと直らないものの境目は、私の実感ではここだった。
配置を変えて二、三週間たっても失敗が減らない、むしろ増えているという場合も、一度相談したほうがいい。記録を持っていくと話が早い。
続けるための目安
変えたら、二週間は変えない。良かった日と悪かった日が交互に来るのは普通で、一回の失敗で配置を戻すと、猫はまた覚え直しになる。見るのは失敗の数より、成功した回数。トイレに入って、出てきた回数が増えていれば、それは進んでいる。
今、うちの廊下の角には小さなトイレがひとつ増えた。若いほうは洗面所まで行かなくてよくなって、夜の失敗はほとんどなくなった。朝、廊下で座り込む姿はまだ見る。ただ、その座り込みが誰かの排泄を止めている時間は、確実に短くなった。全部を解決したわけではない。変えたのは、位置ひとつと、置き場所ひとつだ。